闘牛士     林すくも

   1  ラッパの音が高らかに響く。歓声。観客に帽子を取ってあいさつをする男。目の前には黒山のような牛。牛にもあいさつをする。ぶうと鼻でこたえて、走りこんでくる牛。男は手品師のような手つきでマントを取り出す。そして牛の目の前でそれを上げる。壁。ひどい音を立てて、仰向けになる牛。失笑。そして喝采。おもむろに短剣を取り出し、牛にとどめをさす。歓声にこたえるのは、血とステーキを愛する若き天才闘牛士、けいと。
   2
「けいと、けいとなのね」
道端でいきなり声をかけられる。振り向くと大きな鞄を抱えた娘。
「りなじゃないか。どうとてこんなところへ」
りなは「よかった」といってひざから倒れます。かけよるけいと。
「ごめんなさい、昨日から何も食べてないの」
 二人は手近な料理屋へ行きます。料理を注文してそれがくる頃には、りなはだいぶ落ち着いてきました。
「五年前だったわね、あなたが村を出たのは」
「ああ、そちらののほうは何かあったの」
「父が倒れたわ」
二人黙って料理を食べます。しばらくしてりながぽつりといいます。
「ねえ、村に帰ってきてくれない」
けいとは手をとめ、答えます。
「それは出来ない。僕はこの町でやりたいことを見付けた。村では出来ないことだ」
「やりたいことって何」
「闘牛士」
りなの手がとまります。
「あんな危険なことを」
「危険は承知の上だ」
「狂っているわ。なぜもっとおだやかに暮らせないの」
「それは分からない。けれど今の僕から闘牛を取ったら何も残らない」
りながためいきをつきます。
「明日の汽車で立つわ」
そういって、りなは席を立ちました。けいとは黙ってステーキを食べています。
   3
 ラッパの音が高らかに響く。歓声。観客に帽子をとってあいさつするけいと。と、そこに見覚えのある顔。けいとは客席に近付いていきます。
「君が闘牛を見にくるとはね」
「闘牛じゃなくて」
りなはけいとの目をまっすぐにみつめます。そして続けます。
「あなたを見にきたのよ」
なんと言う言葉でしょう。一人の人を一人の人としてみること。これこそが、けいとがまちに来た本当の目的だったのです。
「りな」けいとはいいます。しかし、この場所は愛の言葉を語るにはあまりに危険すぎました。「あっ」
りなが気がついた時にはもう遅すぎました。牛の角がけいとを突き飛ばす。歓声。それにに答えるかのように、その場を一周し狙いを定める牛。うつぶせに倒れるけいとの背中が赤い。
「誰か、この人を助けて」
りなの叫びが歓声に書き消される。りなはけいとにかけより、牛に向かって両手を広げる。「おとなしく食べられて、とはいわないけれど」
観客がしんとなる。
「あたしの大事な人を傷付けないで」
りなが泣き崩れる。
「そのせりふはあんまりだと思うけどな」
りなの背中から声がする。胸を押さえてたち上がるけいと。
「席に戻りたまえ。君はここにいる人じゃない」
 芝居がかった動作でりなの前に出るけいと。闘牛士として、そして一人の人として。歓声。ラッパの音が高らかに響く。